何年振り?

2006年10月7日 教会

たろーちゃんに会った。
姿形はともかくとして(笑)
相変わらずの根っこにある優しさと
その関西弁のおかげで
時の移ろいを感じることは微塵もなく。

自分に出来ることを改めて問いかける日でもあり、
不安で泣きそうな日でもあり、
再会を心から神様に感謝した日でもあり
信仰のあり方と世界の関わり方とを考えた日でもありました。


カンボジア、だけではなく
私はこの格差に対して何が出来るのか。
どうすれば一番効果的に
解決のその一歩を踏み出すきっかけとなれるのか。

喪に服す

2005年4月3日 教会

そんな気持ち。
何ができる、なんてないです。
何を祈るか、それも分からない。

それでも黒い服を着る、私は。

復活徹夜祭

2004年4月10日 教会

初めて行く教会だったのだけど。
まあ、世界中どこに行っても言語が違うだけで、
やっていることは同じという不思議な連帯感というか
共同体意識もあるし。
そもそも日本だし(笑)
思っていたほど緊張はしませんでした。

まあ、終わったあとに一人で一言も発することなく出て行く寂しさ、
なんてものはあるのだけれどね。


ただ感じることは。
クリスチャンでよかったなーと。
そんなことぐらいで。

この前の黙想会のおかげもあって、
言葉のいろいろな意味も
自分が洗礼を受けたときのことも
改めて受け取ることが出来たと思います。

黙想会

2004年3月27日 教会

垂水教会の青年の集いに行ってきました。
朝から家庭教師をしていた&家に帰ると竹之内さんが出かけていた
こともあって、1時間ぐらい遅刻してしまった。
せっかくの話を途中からしか聞けなくて、
ものすごく残念でした。


しかし久々の教会のノリって
なんだか馴染めなくなっている自分を発見。
初対面染みた人が多かったから、なのかな?
高校生ぐらいのときに2,3回会って、というのは
なかなか微妙だったりする。
でもいいのだ。


これからはちゃんと自分の行動と信仰が
関連したものになることを決意、した。


今日のテーマは難しいんだよ。
特に自分が幼児洗礼で、
しかもその後は碌に勉強していなくて、
それでもクリスチャンで
ただ信じているっていうだけじゃ、
その辺の怪しげな宗教となんら変わらないじゃないかと思うわけ。
自分の信仰を押し付けるのと妄信は、
個人的な意見としてカルトチックだな、と思ってしまうので。
偏見かもしれないけど。

でもその自分嫌だと思っていることの二つのうちの一つの状況に
見事にはまり込んでいるわけで。
それにこの前の集いで気づかされたので。
何とかしなきゃ、と思うのです。
大人の信仰を持てるようになるまで。